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チャールズ・ブコウスキー 『くそったれ!少年時代』

ひどい翻訳だが、端々にブコウスキーの放つ愛があふれている。

1930年代のロス。ヘンリー・チナスキーの少年時代、青春時代の断片。単純に、痛快かつ下品な罵声の嵐、メインストリームから見放された負け犬たちの断片を描いているとしてクローズアップされることの多いブコウスキー作品だが、俺が今感じているのは、何よりも愛そのものを表現しているということである。

不器用な姿をさらしながら、むき出しの愛がこの世界を徘徊している。そいつがブコウスキーだ。

その夏、1934年7月のこと、シカゴの映画館の外でジョン・ディリンジャーが射殺された。彼に勝算は全くなかった。レディ・イン・レッドが彼のことを密告したのだ。その一年以上も前に銀行はすっかり駄目になってしまっていた。禁酒法が廃止され、わたしの父はまたイーストサイド・ビールを飲み始めた。しかし最悪の出来事はディリンジャーがやっつけられてしまったことだった。
『くそったれ!少年時代』P175から

それから、うれしいのは下記のようなセリフを拾ったこと。そういう気質、ある意味でバランス感覚を備えているヤツだとは感じてはいたけれども。マイケル・ムーアじゃないぜ、ブコウスキーだぜ。

わたしは自分に対して一度も面倒を起こしたことがないユダヤ人や黒人に対しては、いかなるかたちであれ直接的な言及をしないようにした。わたしに降りかかる面倒ごとは、すべて白人のキリスト教徒たちによるものだった。たとえば、わたしは気性にしても好みにしても、決してナチではなかった。しかし教師たちは自分たちの反独の先入観でもって、わたしをナチ扱いしたり、ナチと同類だと考えることで、そうした人物に幾分なりとも無理やり仕立てあげてしまおうとした。
『くそったれ!少年時代』P348から

この前後の文章を含めて、言葉だけを抜き取ったら、レイシスト(人種差別主義者)に他ならないだろう。しかし、俺はそうは思わない。レイシストとは無縁のものこそ、時代の空気、環境に敏感に反応し、流されまいと抵抗を示すからだ。だから、ある意味でブコウスキーはバランス感覚に優れていると言えるのだ。

日和見主義の平等主義者は、レイシストと大差ない地平にいるのではないかな。まあ、いずれにしてもどうでもいい話かもしれんがね、眼の前にある酒瓶の真実に比べれば。

では最後に、共産主義者で人類学講師の講義でも抜き出しておくかな。あばよ。

「ポーターハウス・ステーキの料理の仕方だが」と彼は授業で教える。「まずはフライパンを真っ赤になるまで熱し、ウィスキーを一杯飲んでから、フライパンの中に軽く塩を敷き詰める。それからステーキを入れて焼くが、焼きすぎてはいけない。ひっくり返して反対側も焼き、もう一杯ウィスキーを飲む。そしてステーキを盛りつけると、ただちに食べる」
『くそったれ!少年時代』P367から
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投稿者 Kazu : 2006年08月20日 04:33

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