« 村上春樹 『レキシントンの幽霊』 | メイン | 金子光晴 『マレー蘭印紀行』 »

村上龍 『KYOKO』

こいつで、俺の「村上龍アレルギー」(というより喰わず嫌いだったわけだけど、)はだいぶ治まったような気がする。一気に読んだ。余韻が少しずつ身体の中に溶けていく。

キューバ人にとって、ダンスは、日曜の午後を優雅に楽しく過ごす、といったものではない。奴隷や移民が生きのびていくためになくてはならないものだった。彼らは、厳しい労働でボロ布のようになって粗末な我家に帰ってくる、キューバのダンスはそこから始まる。正当な疲労と、誇りと、希望を、自らのからだに取り戻すために、踊る。

幼い頃、ダンスを、大切なものを教えてくれたホセ・フェルナンド・コルテスに会い、ありがとう、と言う、そして一緒に踊る、うまくなったね、と言ってもらう。それだけの目的をもって、キョウコはニューヨークへと渡った。そして、それはキューバへと続く道の途上だったのだ。

ダンスが、踊ることが、生きていくことに直結しているというのは、俺にはスッと納得できるものだった。西アフリカのガンビアでの活気に満ち満ちたダンスを見た後の俺には、なおさらのことだ。今覚えば、彼らは「正当な疲労と、誇りと、希望を、自らのからだに取り戻すために、」踊っていたように思える。

かつて奴隷貿易の一大拠点となったあの場所、この場所からアメリカへと奴隷として連れ去られた祖先クンタキンテ以後の系譜を辿ったアレックス・ヘイリー著『ルーツ』のはじまりの場所、2週間前に訪れていたその場所を思い起こす。

夕暮れ時に、一日の労働を終えたガンビアの男たちと女たちが、太鼓の響きに導かれるようにして、ストリートに繰り出し、思い思いの踊りを披露する。皆、互いのダンスを意識するのだけれども、互いにステップをあわせたりは決してしない。意識しているのは、音楽であり、また、生きること、つまり誇りと希望だ。おそらく。

キョウコが学んだこと。それは自分がいつでも、どこでも、どこかへ向かう途上にいるのだ、ということ。いつだって、この場所はゴールではない、ということ。そして、今では使い古され、小便をひっかけられ、乾ききってしまったようにも思えるあの言葉が蘇ってくる。

人生は旅だ。

KYOKOKYOKO
村上 龍

幻冬舎 2000-02
売り上げランキング : 161,916

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

投稿者 Kazu : 2006年04月07日 16:08

コメント

コメントしてください




保存しますか?



手動で送信されたコメントであることを示すために、上のボックスに表示されている通りに数字を入力してください




読吐について

(C) Copyright 2006 Rolling Kids Studio. All Rights Reserved.