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February 06, 2007

チベットの記憶 旅人以外にやさしい旅人

俺は、旅人にやさしい旅人ではない。

旅の間、特にみずから望んで接した場合、その旅をより魅力的なものにするのは、いつでも地元の住民との出会いにあって、旅行者との戯れのなかにはありえないとすら思っている。だから、アフリカだろうがどこだろうが、基本的には他の旅行者を見かけても、無視することになる。とはいえ、ひとたび話しかけられてしまったら、「話しかけんじゃねぇよ、うぜえな。」と内心思っていようとも、それをあからさまに出すほどなかなか悪ぶれないわけで、極力話しかけられないための予防テクニックを行使することになる。そんな基本テクニックの一つに、旅行者と鉢合わせてしまった場合でも、即座に誰か近くの地元住民に話しかけるというものがある。少々強引でも、地元のおばちゃんたちの井戸端会議に混ざって和気藹々としているかの如きシチュエーションを創作してしまえば、なかなかその中に分け入ってまで話しかけられないのが、日本人旅行者の典型がゆえに意味をなすテクニックである。

そうして、こんなテクニックを発動した古い例をさかのぼってみると、チベットのガンデン寺に行ったときのことを思い出す。ラサからバスに乗ってやってきた標高約4200メートルに位置するガンデン寺。バスを降りたときに、眼についた日本人旅行者♂数人組をシカトして、話しかけられないうちにすぐに近くにいたチベット人らしき女の子3人組に話しかけて、それから彼女らと一緒に行動した。ナンパと言えなくもない強引なやり口だが、日本人旅行者と距離をとり、ついでに地元の人とも触れ合えることになるわけで、推奨されるべき行為といえるだろう。実際、このときも彼女らとは友人となり、ラサに戻ってからも、何度か会って、稀少な体験をさせてもらった。

ちなみに、彼女らは英語も日本語も話せないので、カタコトのチベット語と漢字の筆談でコミュニケーションしていた。そんな状態でも、後で電話をかけたりした。いくつかチベット語での表現を前もって聞いておいて、それを話すというだけの無謀な行為で、たぶんこちらが言ってることは通じたようだけど、向こうが言ってることはまるで理解できず、結局宿の受付で電話を借りてたから、受付の兄ちゃんに通訳してもらって待ち合わせたりしてたな。今思い出すと、若気の至りとも思えなくもないが、今でもできるし、ヤルときゃヤルよ!俺はヤルよ!

投稿者 Kazu : 05:52 AM | コメント (0)

October 23, 2006

2004.05.12 - 15 BULAWAYO

消えてしまった過去のブログからもう少しだけ(ブラワヨでの事故の少し後の分を)転載しよう。


二〇〇四年 五月十二日 (水)

朝起きて、Eに「ハッピーバースデー!」を言う。

事故の2日目の夜に熱を出した時からは、いくらか体調はましになったようだ。怪我の方は、日に日に良くなっていくのがわかる。

今日は、泊まっている宿で働くEの33度目のバースデーだ。まだ、絶えず頭痛はするし、頻繁にめまいがするけど、今日は街に出たい。自分の足で、少しでも多く、歩き始めよう。

夕暮れのブラワヨを歩く。シティホール前のクラフトマーケットを、なかなかにしつこい売り子をあしらいつつ、店先を物色し、なんとなしに好感度の高かった“押しのやや弱い”おばちゃんの露店で、オレンジの薔薇を買う。Eへのバースデープレゼント。

今夜は、Eのバースデーを祝って、事故の後、初めてのビールを飲もう。

「アンヒョーペ、E!」

Eとハラレやザンビア、ボツワナから来ている黒人の男衆との宴は続く。いつものように、ザンビア出身のLのつくる“サーザ”をみんなでたいらげ、一息ついた後、僕はひさしぶりに、心の底からリラックスできた気がした。

とめどなく、くだらないけれども、でも何か温かいような、僕らのおしゃべりは、ライオンビールの心地よい酔いにのって、真夜中まで続き、そうして、それぞれの寝床へと帰っていった。

誰も居ない宿のバー。カウンターには、猫の「クリスマス」が、オレンジの薔薇を挿した花瓶の隣で寝ている。もうすぐ、ブラワヨの夜が明ける。


※アンヒョーペ…ンデベレ語で、おめでとうの意

※サーザ…ある種のとうもろこしを磨り潰してつくった粉から作る主食で、通常肉や魚、野菜
などと一緒に食べる。南アフリカなどではンパパ(pap:パップ)、ザンビアなどではンシーマ(nshima)
と呼ばれるものと基本的に同じもの。


二〇〇四年 五月十三日 (木)

大型のローカルバスに乗って、目的地の街に着いたときには、乗客は僕一人だけになっていた。ついさっきまでは、席は客で埋まっていたと思ったんだけど…。

辿り着いた街は、急峻な谷あいの街で、一本の路と、その下段にもう一つの路がわずかに覗いている。路の両端には、不規則に家が立ち並ぶ。路は固い砂で、所々でこぼこしている様で、これ以上はもうはっきりしないのは、この街に着いてすぐの場面で、僕はブラワヨのベッドの上で、眼を覚ましたからだ。

あの時、僕が辿り着いた、夢の中の街の風景が、しばらく頭から離れない。

今でも、どこか現実の場所とつながっている気がしている...


「カミ遺跡群」は、影の薄い世界遺産の一つに挙げられるだろう。

考古学的・歴史的・芸術的観点から遺跡を楽しむのもいいだろうけど、そうした思考は捨て去って、“ただの古くからある景観”として、それを楽しむのもありなんじゃないかな、とここへ来て思った。

カミの石造建築跡が夕暮れに映える。オス猿が鳴いている。苔だらけの岸辺から望むカミダムの景色はなかなか悪くない。

猿たちは、水門の上を器用に渡っていく。ダムには魚がいて、男が一人、釣り糸を垂らしている。石造りの壁からは、サボテンが顔を出している。

忘れられ、朽ちかけたようにも見えるカミ遺跡。

日が暮れかけてきた。門番の男に貸していた新聞を返してもらって、日が暮れる前に街に帰ろう。

入り口の門は、自分の手で閉めた。


犯罪者の葛藤 - A heart full of trouble as a criminal -

貧困の中で暮らす人々と接する中で、いつの頃からか、自分への戒めとして、思い描くようになったある種の想定がある。

…あなたには、ある一人の友人がいる。彼or彼女は貧しい地域の出身で、友人とあなたの間には、途方もない貧富の差が存在するけど、そんなことは関係なく、二人はいい友人であり、お互いにそう感じている。

ある日、あなたは友人と席についていて、何かの用で、あなたは友人を残して席を立つ。

テーブルには、高額の紙幣が覗く財布を置いたままで…

こうした場面において、友人に対するあなたの行為は、犯罪的行為に等しくはないか、としばしば考える。こうした行為が友人をどのくらい傷つけたのだろうか、と。

僕には、友人が財布を盗んで、忽然と消えていたとしても、あなたが友人を責められるとは、到底思えない。自分の尺度で全ての物事が推し量れるわけはなく、僕らはいつでも他人の尺度に対する想像力を働かせなければならないと思う。

物乞いに何も与えなかったことを悔いるよりも(それが無意味だというわけではなく)、僕たちは、悔いるべきことがたくさんある。

あの時の僕の行動は、友人を傷つけはしなかっただろうか。
心当たりは、あまりに多いけど、一つ一つ悩むことが、無駄だとは思わない。


こういうことを書くと、金持ちの存在自体が罪深いと考えているのではと思われるかもしれない。

あるいは、そうであるのかもしれないが、ただ一つ言えることは、僕はここで、あまりに多く見られる貧困に対する配慮のない先進国ツーリスト(日本人含む)の群れに、一言言いたかったのだ。

護衛に囲まれ、防弾ガラスの奥から眺める先に真実があるとは思えない。
雑多な一般大衆集団が危険だなんてあり得ないと信じている。

※ここで言う集団とは、女がいて、男がいて、子供がいて、老人がいて、それぞれにそれぞれの生活を抱えている人々が、共通の目的を持つわけではなく、雑多に存在している集団というような...

スイス人の親友Pと僕は、ケープタウンでちょっとした行動を起こす際に、よく冗談めかしてこう言った。

"Take some risks!"

そこが本当に危険だなんてどうして言えるの?


二〇〇四年 五月十五日 (土)

二日間の滞在予定だったのが、結局八日間も居ついてしまった。ブラワヨ到着の翌日に事故に遭ってしまい、回復するのに(まだしょっちゅうめまいがするし、完全ではないけど、)これだけの時間がかかってしまったわけで、仕方がないと言えば仕方ない。

けれども、この時間には全く後悔はなく、本当に貴重な一瞬だったな、と今では思う。自分勝手な尺度だとは思うけど、僕の旅には、無駄な時間はほとんどない。

自分一人で過ごしている時間は、何をしていようが、無駄だと感じることはまずない。この場合の“自分一人で過ごしている”という意味は、決して砂漠に一人きりで居ると言う意味ではなく、(あるいは、それも含まれうるけど、)僕の旅の最も重要なテーマである地元民との交流というものを、もちろん無数に含むものであって、随行する友人や旅人を持たない、ということだ。

ブラワヨでの8日間は忘れがたいものになるだろう。

ベッドの上にいた以外のかなりの時間は、宿のスタッフや同宿者にンデベレ語を習ったり、彼らとともに、テレビを見て、アフリカの将来や日本のこと、彼らのビジネスのことについて話し、食事を一緒にし、時にはお酒を飲んで過ごした。

8日間の間、夕食はずっと彼らの伝統料理を一緒に食べた。東洋人一人と七人の黒人。欧米人旅行者は誰一人この輪に加わることなく、彼らの輪を作る。

街で会う人々は、僕の傷を見て、幸運を祈ってくれたり、十字を切って同情のまなざしを向ける。
牧師は、朗々と祈りの言葉を読み上げてくれた。

僕は、顔の傷が癒えるに従って、彼らに上手く笑顔を示すことができるようになっていくのが、素直に嬉しかった。今は、皆に感謝している。

8日目に宿を去るとき、「次はいつ来るの?」とスタッフのHに訊かれた僕は、「2、3年以内に来るよ」と答えたけど、彼女は「じゃあ、多分十年後だね」と笑って言った。

そうかもしれない。でも、いつかはまた来たい。

願わくば、彼らに忘れられないうちに。


投稿者 Kazu : 07:29 PM | コメント (0)

October 21, 2006

2004.05.09 BULAWAYO

2年半前にジンバブエのブラワヨで車にひかれた少し後に書いたものを転載してみる。考えてみれば、まだ2年半しか経ってないんだな。そして、今でもジンバブエが、ブラワヨが好きなのです。


二〇〇四年 五月九日 (日)

どうしてこうなってしまったのだろう?今となってははっきりしない。自分の不注意ではあるだろう。後になって、運転手が酔っ払ってたという話も耳にしたけど、それは誰かの憶測に過ぎなかったのかもしれない。

とにかく、僕はレンタルした自転車に乗っていて、この状況に気づいたときには、反対方向から走ってくる車との距離は、1m、2m、いや、3mだったかもしれない。

とにかく、その距離に対してなす術もなく…、

激突!

次に思い出せるのは、地面に叩きつけられた自分。道路に転がって顔を押さえ、こみ上げてくる痛みに思わずうめき声をあげる。

なんとか立ち上がろうと試みる。車から運転手が出てくるのが見える。そう、眼は見える。最初に気がついた出血は、鼻から、で、次には額と頭から血が吹き出ていることに気づく。耐えられず、すぐに地面に崩れ落ちる。

野次馬が集まっている。黒い顔、顔、顔、顔、、、、

ここは、ジンバブエ第二の都市、ブラワヨ。


もう一度、立ち上がろうとする。なんとか、なんとか、“こんなのどうってことないんだぜ!”、と。できることなら、何ともない振りをしてこのまま寝床に帰りたい。誰かが叫ぶ声が聞こえる。

「今、救急車を呼んだから、じっとしてなさい。」

仰向けになる。苦しい。自分の傷を確認するだけの余裕もなく、それでも、血は確かに流れ続けている。額と右足に特に激痛が走る。長い。とてつもなく長く感じる。“救急車はどこにいるんだ?”
これまでで、もっとも長く、苦しい時間、、、

まだ、苦しい。身体が燃え立つように熱い。血は流れ続ける。

それでも、それでも、死ぬほどの痛みではない、と思う。そうだ。この程度の痛みが死につながるはずがない。そうだ。そうに違いない。そう信じよう。

“誰かそうだと言ってくれ!”


どれくらい待ったのか分からない。とにかく、救急車が来た。サイレンはない。誰かが出てきて、額にガーゼを当ててくれる。男が何か言っている。

「え、何だって?」
「担架に乗ってくれ!」

自分で乗るのか、ファック!ふらつきながら、それでもなんとか指示に従って、担架に腰を下ろす。救急車の中に運ばれる時、自転車と背負うところの引き千切れた自分のリュックが見えた。
救急車は動かない、、、

「どこの病院に行きたい?○○病院か、△△病院か、それとも、」
「知らないよ。どこでもいいから、一番近いとこに早く連れてってくれ!」

「で、どこに住んでるんだ?」
  ―くそっ、何でそんなことを今聞くんだ。
「○○(泊まっている宿の名前)」
「え、何だって?どこなんだ、それは?」
「○○通り沿いの宿泊施設だよ。」
「え、どこだって?どこに泊まってるんだ?」

気づいたら、救急車が病院に着いたようで、起こされる。ここまでの記憶がないような気がする。気を失っていたのかもしれない。

「○○病院だけど、本当にここでいいのか?」
「オーケー!オーケー!早くしてくれ!」

担架に乗って、病院の廊下を通る。廊下は人であふれている。

ここは、ジンバブエ第二の都市、ブラワヨ。


「ベッドに寝てくれ!」

オーケー。分かったよ。どうにか、担架から這い上がり、ベッドによじ登って横になる。

「え?何だって?」
「頭と足が逆!」

それから、空しい尋問のお時間。そう、それはまるで尋問のようで…。やたらと、どこに泊まっているかにこだわる。

それから、額を何針か縫う縫合手術。もちろん手術室までは自分の足で歩かなくてはならない。血を滴らせ、左右にふらつきながら、手術室にたどり着き、手術用のベッドに這い上がる。

手術は、看護婦がしていたように思う。二人の看護婦と、初めて縫合するのを見る若医者が一人。それは長すぎだよ、などと周りに注意される看護婦。

簡単な縫合が終わり、最初のベッドに、やはり自分の足で戻る。ひどく目眩がする。多分、血を失いすぎたせいだろう。

ベッドに横になり、それから、随分と長い時間、放っておかれた気がする。風が冷たく、昼間だというのに、かなり寒い。

ここは、ジンバブエ第二の都市、ブラワヨ。


しばらくして、別の病室に移される。左隣に寝ている老人はひどく咳をしている。反対の右隣に寝ている女性には、両親らしき人が付き添っていて、彼女を慰め続けているように見える。

それから、病院スタッフによる身元調査。
どこに泊まっているのか、何度も、何度も、忍耐強く説明する。宿に電話がつながらないらしい。何度か、日本大使館に電話させてくれと頼むが、無視される。

左の老人は何か独り言を言っているようだ。右の女性に付き添っていた両親らしき人は帰っていった。廊下では、赤ん坊が“ダーゥ、ダーゥ”と繰り返し、繰り返し声を上げているのが聞こえる。

その声から、その生命力を、自らの身体に吸収していくかの如くイメージしてみる。全身が癒されるように感じる。これが、錯覚だとは思えない。


病院には、二時間くらい居たと思う。結局、退院するようにうながされる。多少、この場所にはうんざりしていたので、素直にこれに従う。左眼の上の縫った箇所以外の無数の傷には、消毒はおろか、血を拭いてもくれなかったので、ここを出る前にせめてこの血だらけの手を洗わせてくれと頼み、水を使わせてもらい、めぼしい傷口を自分で洗い、固まった血を流す。

また目眩がしてきたので、元のベッドに倒れこむ。すぐに起こされて追い出される。血は止まらない。病院を出て、コンビ(ミニバス)に乗り込み、病院スタッフの一人に連れてかれたそこは、警察署。しばらく待たされ、警察のトラックの荷台に乗り込み、今度は別の場所にある警察の交通課に連れて行かれる。

長引きそうだったら、どうにかして逃げ出して、タクシーを拾ってでも宿に帰ろうか、と考えつつ古びた建物の中に入ったら、そこには、僕の乗っていた自転車があった。

サドルがもげて、フレームがぐにゃぐにゃになり、自転車は何とも無残な姿を呈している。自分の身の幸運に深く、感謝する。俺はついてる。


それから、内容を読みもせず、交通課職員の差し出すごく短い書式にサインをして、自転車を引き取った後、通りに出て拾ったタクシーに自転車を積み込み、自分もそのタクシーに乗る。

そうして、ようやく、我が寝床に到着する。

温かいオーナー、温かいスタッフ、温かい同宿者たちが迎えてくれる。

ベッドにもぐりこみ、死んだように眠る。俺は確かに生きて、今ここにいる。静かに横になり、全てのもの、全ての人に感謝しよう。

今では、あの時、あの病院で、僕の左のベッドで寝ていた老人、右で横になっていた女性、廊下で声を上げていた赤ん坊、待合室にいた無数の人々が気にかかる。

ここは、アフリカ。ここは、ジンバブエ。ここは、ブラワヨ。

明日も、いつもと同じように朝を迎えられることだろう。たくさんの希望に溢れて…。

投稿者 Kazu : 10:41 AM | コメント (0)

October 13, 2005

タンザニア初夜のゴスペル

朝、カロンガを発つ。宿を出て、自転車タクシーに乗り、バスターミナルへ向かう。それから、タンザニア国境へと向かうミニバスへと乗り込む。

窓際フロントシートに俺を載せ、ミニバスは進む。国境までに3箇所の検問を通過する。そのたびに、ポリスの眼をごまかすために、窓際フロントシートの俺は、壊れたシートベルトをつけているフリをしなくてはならない。

やがてミニバスは国境へと着き、マラーウィを出国。そして、国境の橋を渡り、タンザニアへ入国。イミグレーションの周りにうろつく両替を呼びかける人々。彼らに余ったマラーウィクワチャをタンザニアシリングに両替してもらう。彼らのうち何人かが使う手口はひどく幼稚で、わたす段階になって一桁少ない額をわたそうとするのだ。モザンビークからマラーウィに入ったときの場合は、もう少しだけ手の込んだ手口で、人々は細工された電卓を使ってごまかそうとしていた。彼らの電卓では、100×19=1400になったりするのだ。あいにく、そのくらいの暗算ができないほど寝ぼけてはいないので、これにひっかかることも考えにくいけど。

タンザニアに入国して、しばらく歩いていると、うまいぐあいにすぐに、ムベヤへと行くダラダーラ(ミニバス)を見つけ、これに乗り込む。やがてダラダーラは、ムベヤへと向かい出発する。

道は悪くなく、快調に進んで行く。明るい緑に彩られた茶畑の間をゆき、トゥクヨの町を通り過ぎ、3時間ほどでダラダーラはムベヤの町へと到着。最初にあたった宿は満室で、そこで教えてもらった別の宿へ行く。

丘の上に位置する教会経営の宿。明日は、ニエレレ初代タンザニア大統領の命日で、国民の祝日だということを聞き、荷物を置いて、両替をするため、銀行へと急ぐ。あいにく銀行はすでに閉まっていたが、周囲の人にまだ開いている両替所を教えてもらい、両替を済ませる。

ここの人々は、道を聞けば誰もが、親切に教えてくれ、時には仕事を放り投げ、案内をかってでてくれることもしばしばだ。両替所に案内してくれたおっちゃんは、地元の人の集うレストランを教えてくれ、それから、何故か地元のNGOの資料を持ってきてくれた。「Mbeya Mult-Development Centre」

宿に戻り、バケツ1杯の暖かいお湯をもらい、そいつで汗を流す。すでに日も暮れ、この時間はだいぶ冷える。助かるよ。これで十分さ。

それから町に出て夕食。食堂で、従業員の兄さんや姉さんにスワヒリ語を習いながら、食事をする。バナナやパパイヤなどのフルーツがサービスで付いてくるのが嬉しい。スワヒリ語で少し話しかければ、たちまち返ってくる分からない言葉の洪水。早くもう少し理解できるようになりたいものだ。少しずつ、少しずつつかんでいこう。

宿に戻ると、ザンビアから来ているという女たちが、力強い声でゴスペルを歌いながら、宿の構内にある教会から出てきた。スワヒリ語でうたわれるゴスペル。夜空に輝く星々。

タンザニアでの最初の夜。明日に待ち受けるだろう新しい出会いと、これまでの素晴らしき日々に感謝して、眠りにつく。

投稿者 Kazu : 09:41 PM | コメント (0)

October 12, 2005

誰とも違う自分がいて、それでも「チモジモジ」

夜明けとともに、大木に支えられたベッドの上で目覚める。鳥たちは、まだ夜が明けるだいぶ前から鳴き始め、夜が明ける頃には、静かになっていた。

しばらく大木に抱かれ、横になり、この場所を名残惜しむ。周囲には、この木から散った特徴的な赤い花びらが舞っていて、木の枝にはほとんど花びらは残っていないのだった。

それから、木の上のベッドから這い上がり、狭いハシゴを伝って、地面へと降りる。朝食をとり、テントを収容し、荷をまとめ、ここのオーナーに別れを告げ、片隅に生えるバオバブに別れを告げ、旅立つ。

キャンプサイトの前で、北へ向かう車を待つ。道を行き交う人々と笑顔で挨拶を交わしつつ、30分程待った末、この30分間で初めて通過した車となったミニバスに乗り込み、タンザニア国境に近いマラーウィ北部の町、カロンガへと向かう。

やがて、ミニバスはカロンガへと着き、宿にて荷を降ろす。それから、この宿で働くトゥンブカ族の姉さん、チチェワ族、ンゴンデ族の兄さんらと会話を楽しむ。ンゴンデ族は、この辺りに多く住み、明日向かうタンザニア側にもいると聞く。彼にンゴンデ語を少し教えてもらう。

俺は、旅をつづけるにつれ、他の旅人にも、旅行者のための情報というやつにも、どんどん興味を失っていた。あいつはいい奴、あいつは悪い奴と品定めしながら旅をする連中。何度でも言う。良い人と悪い人なんてものは存在しない。僕らは、誰もが悪く、時にはそうでもないこともある。僕らは、誰もが醜く、卑しく、ずる賢く、あるいはどうしようもなく間が抜けていて、それでも時にはやさしく、美しく、温かく澄んだ声で愛の歌をうたうこともある。これは誰もが、誰もが、日本人も、中国人も、クルディスタンも、チェチェン人も、アメリカ人も、フランス人も、そしてこの地に暮らすアフリカの人々も、あらゆる人々に共通していることだ。それが人間だ。僕が今、旅人たちに一番言いたいのは、これだけ。

それから、自分の胸の内で、ブコウスキーが書いていたことを想い起こす。「行き詰ったとき、俺は他の作家を読む。それで、自分は他の誰とも違うんだということを思い知る。それから、また書きつづける。」ってね。手元に本がないのでうろ覚えだが、どこかで確かそんなことを書いていたと思う。

俺が他の旅行者と会ったときにも、また同じことが言える。誰とも違う自分を再認識し、自分だけの道を進む勇気に変える。まったく積極的に会いたいことはないが、そう考えると、時々旅行者に会ってしまうことも、あるいは必要なことなのかもしれない。

気分を変えよう。クチェクチェビールを口に含む。最後に興味を惹いた旅行者は誰だったかな。そうだな、多分2年前、南アフリカのスプリングボックで会った世界各地の蛇を探している男だろうな。彼のことを思い出し、少し気分がよくなる。彼のように、楽しい旅人も、たまにはいるんだろうな、きっと。

おそらく、しばらくはお別れになるだろうマラーウィの地ビールクチェクチェを飲んで、飲んで、飲んで、それから、ベッドへともぐりこむ。

チモジモジ

おんなじだよ、という意味の大好きなチチェワ語の表現を口にして、やがて眠りに落ちる。

投稿者 Kazu : 10:29 PM | コメント (0)

October 11, 2005

湖畔の樹上にて過ごす一夜

軽い二日酔いを引きずりつつ、ベッドから這い上がる。朝食をつめこみ、銀行ヘ行き、両替をする。宿に素早く戻り、荷をまとめ、世話になった従業員のLやD、Lの娘のCに別れを告げ、そして旅立つ。

宿を出て、昨晩の負け犬仲間のCの家に寄り、一緒にバスターミナルへ。それから彼と別れ、ミニバスに乗り込んだ。

道路は悪くないものの、山の間の曲がりくねった道をミニバスは進み、少し気分が悪くなりかかっていた頃、ミニバスはチティンバ近くのキャンプサイトへと着く。マラーウィ湖岸のキャンプサイト。大きな木の上にベッドがのっている。今夜はこの木の上で寝よう。

それから、この木の根元にテントをはる。ンシマと豆の煮込みと野菜の昼食をとり、それからマラーウィ湖岸を歩く。男たちが湖岸で網の補修に勤しんでいる。湖岸には、木製のカヌーが打ち揚げられている。男が一人、得意気に獲物を見せつける。

それから、好奇心をむき出しにした子供たちと追いかけっこ。ここのトイレは、細長い穴を掘ってあるだけのシンプルなものだ。シャワーは、バケツを木にぶらさげ、そこに取り付けてあるタイプ。水がなくなれば、またその都度、汲み上げるのだろう。

それでも、不自由ということはなく、じゅうぶんに暮らすことができる。一日過ごしただけの者が簡単に言えることではないとも思うけれども…。

それから夕食。魚が食べたかったが、今日はないということなので、野菜と豆の煮込みとライスの夕食をいただく。悪くない。量もたっぷりで、とっても満足したところで、寝床へと向かう。小さなハシゴを伝い、木の上に設置されたベッドへ。

蚊よけのネットの中にもぐりこみ、横になる。頑丈な大木の中、宙の下にさらされる。木の枝々の間を通して、星空を見上げる。やがて、幸せにあふれ、眠りの中へと落ちる。

寄せてはかえす波の音をうつらうつら聴きながら…。

投稿者 Kazu : 07:08 PM | コメント (0)

October 10, 2005

負け犬はまた夢をみる

今日のマラーウィは祝日。母の日だ。とりあえず、宿泊先の従業員Lにおめでとう!と言ってみる。2歳になる彼女の娘は、今朝も元気に動き回っている。チンテチェから一緒に来たトゥンブカ族のEは、ここでの用事を済ませ、チンテチェの職場へと帰っていった。イエウォー、E。またね。

昼過ぎ、ランチを食べに外へ出る。宿から出て、通りすぎる家々の子供たちに手をふる。同じ方向へ行く男がいる。あいさつを交わす。それから、歩きながら少し話す中で、彼が、これからある場所で開催されるというビリヤード大会に行くところだということを知る。

ここから徒歩30分くらいのとあるバーで開催されるらしい。それから、開催概要を見せてもらう。参加費が少し要るが、ベスト4までには賞金があるとか。どうする?少し考え、そして彼にチチェワ語で言う。さあ、行こう、と。ティエン!

大工工房の地域を抜け、そこから目的のバーまで、自転車タクシーで、開催地へと急ぐ。何でも、ザンビア出身のこの男Cは、この大会のゲストだそうだが、午後1時にはじまる大会にすでに大遅刻していて、他の者は彼を待っているところだと言う。

まもなく、開催地「Zex Refreshment」へと到着。このゼックスは、男たちの憩いの場所といった感じで、ほぼ100%客は男で、昼間から飲んだくれている。午後1時開催と言うものの、2時をまわっても始まる気配はない。

しばらくして、主催者が参加者を集める。俺も、参加費250クワチャを渡し、エントリーシートに記入する。それから、参加メンバーが集まるまで、屋台でキャッサバを食べたり、ビールを飲んだり、クチェクチェビールを飲んだり、カールスバーグのスペシャルを飲んだり、伝統酒チブクを飲んだりして待つ。バーの中では、ボブ・マーリーのミュージックビデオが流れつづける。ひどくわれた音でひびきわたるけれども、ここではそれも悪くないように思えるのだった。

やがて、参加者が40人ほど集まった時点で、競技が始まる。優勝賞金の5000クワチャを狙って、男たちの戦いの幕が切って降ろされる。組み合わせ抽選により、一回戦の組み合わせが決定する。俺の出番は、一回戦第16試合とかなり後の方。Cは、第2試合で、2台のビリヤード台で並行して行われるので、いきなりの出番だ。そして、Cは敗れた。一回戦敗退。かわいそうに。早々に5000クワチャは、彼の眼前から消え去った。

しかし、それが勝負の世界。まあ、そんなに気を落とすなって、俺がいるだろ。試合は着々とすすんでいき、サポーターたちも熱を帯びていく。応援合戦はますます白熱していき、勝者は観衆に大いに祝福され、敗者はみじめな姿で慰められるのみ。次第に、勝ちたい想いが膨れ上がってくる。まぐれでも何でもいい。勝ちたい。ゴセン……。

そして、いよいよ俺の出番。コイントスで、相手のショットからスタート。観衆の一人に名前を聞かれ、こたえる。それから、俺の名前の大合唱。観衆の声に後押しされ、ボールを落としていく。序盤は、俺のペース。慎重にボールを落とす。中盤から後半にかけて追いつかれるが、最終盤にまた盛り返し、最後のショットを迎える。それほど難しくはないショットだ。観衆のコールがはじまる。一息つき、打つ。ブラックボールが穴に吸い込まれる。快感!観衆にもみくちゃにされ、人々と握手を交わしていく。イエウォー!ジコーモ!

まもなく、一回戦の全試合が終わり、二回戦の組み合わせ抽選会。そして、二回戦の試合がはじまり、ますます周囲は盛り上がっていく。カールスバーグのスペシャルを煽り、戦意をかきたてる。やがて、俺の出番。

二回戦第8試合。前半は相手にリードを許し、追いかける展開。中盤、のってきたところ、やや難しいショットを決めたところで、手前のボールに触れてしまうという恥ずかしく、痛いペナルティーを犯してしまう。それでも、最終盤に猛追し、連続でショットを決め、残りはお互いにブラックボールのみという状況で俺のターン。それほど難しいショットではないように思えた。

しかし、結局俺はこれを外し、次に相手に決められ……。クソッ。5000クワチャの夢が去っていく。この日のチャンピオンには、Cの友人で宿まで車で送ってもらう約束になっていた男が輝いた。それから、彼らと別の店に行き、飲みつづける。負け犬の気持ちを引きずりながらも、チャンピオンを祝福する。おめでとう。

負け犬は、アルコールの海をもがきながら、ベッドへと転がり込む。
いずれにせよ、今日も悪くない一日だったよ。

投稿者 Kazu : 05:36 PM | コメント (0) | トラックバック

October 09, 2005

奇跡の声、それから、ムズズと炎の木

午前9時。マラーウィ湖畔のロッジ。荷を素早くザックに詰め込み、また新たなる旅立ち。

ロッジを出るところで、ここの従業員で、昨日の食事を作ってくれたトゥンブカ族の姉さんと鉢合わせ、きくと彼女も、自分の今日の目的地であるムズズへと行くところだと言う。

それで、ともに歩く。チェワ族のおじいさんとすれ違えばチチェワ語で、トンガ族の村人にはトンガ語で挨拶を交わす。来た時と同じ路でも、少しずつ違って見える。すれ違う人々。一緒に歩く人。トゥンブカ族の姉さんE。人々の反応。トゥンブカ族の姉さんEの話し方は、すてきだ。マラーウィ人は概して、穏やかでのんびりした調子で話すけれども、彼女は今まで出会ってきたどの人々よりも穏やかな声で話す。

だからといって、大人しいというわけでもなく、遠くに見える人々とも元気よく声を張りあげあいさつを交わす。大げさに聞こえるかもしれないが、彼女の大らかな抑揚のある声は奇跡のようにすら思える。来た時と同様に、マンゴーの木々を、教会を、学校を、村の間を通り過ぎ、やがてムズズへとつながる大きな道に出る。

この環状線に沿って、チンテチェの町の方向に歩いている途中で、ムズズ行きのミニバスをつかまえ、そして乗り込む。チンテチェの町で、ドライバーの隣の助手席に移動。ドライバーがきく。

「彼女はワイフ?」
「いや、姉です。」
「………。」
「実は父がトゥンブカ族で、母が日本人なんです。」
「………。」

ドライバーは、信じなかった。マラーウィ人は意外と疑い深い。ンクハタベイの手前で別のミニバスへと乗り換える。それからしばらくして、ミニバスはムズズへと着く。なぜ、ムズズ行きに乗ったのに乗り換える必要があるの、って思う?

これはここでは普通のこと。重視されているのは多分、ミニバス側の効率性。乗客は時に、多少の不便には我慢を強いられる。俺はこれをたいした問題とも思わないので、ミニバスが好きでいられるんだな、きっと。同じ方向へ行くミニバスが鉢合わせたら、一台に乗客を無理やりにでも詰め込み、もう一台は別方面へ行く客をまた集める。

乗客が集まるまで出発しないのも、また同じことだ。彼らにスケジュールはない。俺の旅もまた、同じだ。定められたスケジュールに従って旅をすることに何の意味もない。

Eとともに宿に。ムズズには、昨日泊まったEの働いているチンテチェのロッジと同じオーナーが経営する宿があり、Eもここに用事があってムズズまで来たのだった。キャンプをはらせてもらうつもりだったけど、また大幅値引きの誘いがあり、個室に泊まることに。

敷地の片隅に立つ「Flame Tree」の名を冠したこの宿は、とても居心地がよく、安らぐ。庭には、竹の植えられている一画があって、こちらの方が外から見ると、まさにFlame Treeという感じで、格好の目印となっている。ちょこちょこ動きまわる従業員Lの2歳になる娘。庭を駆けまわる子犬。

ムズズは、マラーウィ北部の首都として知られるなかなか活気のある町だ。市場の活気がとくにすばらしく素敵で、飽きることなく歩きまわる。人々の動きまわる活気に満ちた姿を見ていると、ここで映画を撮ったら素敵だろうな、と思う。

映画祭に関わったりするようになって、時に、自分が撮るとしたら、という想定が頭をかすめることがある。自分が映画をつくるとしたら、セリフの流れにとらわれない、ただ人々の息づかいを伝えるような作品を創りたい。セリフらしいセリフは、むしろなくてもいい。字幕説明も要らない。

例えば、キューバの今を映した「永遠のハバナ」のような映画。あるいは、複数の監督におけるオムニバス映画「セプテンバー11」の中でのショーン・ペン監督によるショート・ムービー。他に何かある?もっともっとこういう作品が出てくればいいのに、と思う。

町を歩きつかれて、宿に帰れば、従業員Lの2歳になる娘が不思議そうな瞳で、出迎えてくれる。

それから、トゥンブカ族のEのつくってくれたビーフシチューと煮豆、サラダ、ライスのディナーを食べる。美味しい食事。ひさびさのホットシャワーで汗を流す。

それから、ベッドに横になり、夢の世界へ。

投稿者 Kazu : 10:21 PM | コメント (0)

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