June 22, 2007
未来は闇であるゆえに救うこともできる
いい奴ばかりじゃないけど 悪い奴ばかりでもない
ってな一節がブルーハーツのTRAIN-TRAINにある。ブールハーツは好きだし、この曲も全体としては嫌いじゃない俺ではあるが、この一節だけはずっと違和感を持って聞いていた。彼らの意図はどうあれ、俺にはどうしてもそこに、善悪二元論の危うさを嗅ぎ取ってしまう。
世間には、そいつが信仰になってしまっている人は少なくないように思える。それは非常にあやうくはないだろうか。たとえ、どれほどの極悪非道を尽くした人物が目の前に現れようとも、そしてそいつに激しい怒りを感じようとも、そいつが根っからの悪人だとは、俺には決して断言できないだろう。自分が100%いい人だとは決して断言できないのと同じように。
もうひとつの広く信じられていると思われる信仰(あるいは迷信)がある。それは、人々がもう少しずつばかり世界を知ることで、世界は良くなるという信仰だ。たとえば、戦争の実態をもう少し人々が知るようになれば戦争はなくなるとか、悪徳企業の実態にもう少し人々が注意を払えば健全な企業が増えるとか。それは、一見正しく見えるだろうし、俺は決してそういった信念に基づく活動自体を批判しているわけではない。
それでも、その先の明るい未来を信仰してしまっている人々にはひどく違和感を感じる。ボランティアだったり、NGOだったりに関わる人々には、この種の信奉者が多いように俺には思えて、積極的に関わる気にはなかなかなれない。
結局のところ、ヒト一人とってみても、そんなに単純なものではないのだ。当然だ。人々がもう少しよく世界を知れば、確かに世界はよくなるかもしれない。だが、同時に言えるのは、よくならないかもしれないということで、もしかしたら、さらにひどくなるかもしれない。それはいつになっても未知であるべきものなのだ。何をするかということと同等以上に、もしかしたらそうした認識こそが大切なんじゃないかと思う。
まあ、俺にはわからん。俺はわかってることは書かない。そいつは、宙に漂うガンジャの煙をつかみとろうするが如きもので、誰も追随することなどできはしない。そして、おかしな言い回しだが、そいつは明確な意志をもって揺れ動いている。気ままに、気まぐれに。自らの直感に突き動かされるように。
それこそが俺の信仰だ。それぞれに、適当に、自らの気まぐれを、直感を追いつづけることこそが、結局は世界を救うことになると俺は信じている。いい人ぶっても、ロクなことにはならないぜ。そろそろ眼を覚ませよ。
【関連エントリ】
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投稿者 Kazu : June 22, 2007 02:14 AM
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