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October 23, 2006
2004.05.12 - 15 BULAWAYO
消えてしまった過去のブログからもう少しだけ(ブラワヨでの事故の少し後の分を)転載しよう。
二〇〇四年 五月十二日 (水)
朝起きて、Eに「ハッピーバースデー!」を言う。
事故の2日目の夜に熱を出した時からは、いくらか体調はましになったようだ。怪我の方は、日に日に良くなっていくのがわかる。
今日は、泊まっている宿で働くEの33度目のバースデーだ。まだ、絶えず頭痛はするし、頻繁にめまいがするけど、今日は街に出たい。自分の足で、少しでも多く、歩き始めよう。
夕暮れのブラワヨを歩く。シティホール前のクラフトマーケットを、なかなかにしつこい売り子をあしらいつつ、店先を物色し、なんとなしに好感度の高かった“押しのやや弱い”おばちゃんの露店で、オレンジの薔薇を買う。Eへのバースデープレゼント。
今夜は、Eのバースデーを祝って、事故の後、初めてのビールを飲もう。
「アンヒョーペ、E!」
Eとハラレやザンビア、ボツワナから来ている黒人の男衆との宴は続く。いつものように、ザンビア出身のLのつくる“サーザ”をみんなでたいらげ、一息ついた後、僕はひさしぶりに、心の底からリラックスできた気がした。
とめどなく、くだらないけれども、でも何か温かいような、僕らのおしゃべりは、ライオンビールの心地よい酔いにのって、真夜中まで続き、そうして、それぞれの寝床へと帰っていった。
誰も居ない宿のバー。カウンターには、猫の「クリスマス」が、オレンジの薔薇を挿した花瓶の隣で寝ている。もうすぐ、ブラワヨの夜が明ける。
※アンヒョーペ…ンデベレ語で、おめでとうの意
※サーザ…ある種のとうもろこしを磨り潰してつくった粉から作る主食で、通常肉や魚、野菜
などと一緒に食べる。南アフリカなどではンパパ(pap:パップ)、ザンビアなどではンシーマ(nshima)
と呼ばれるものと基本的に同じもの。
二〇〇四年 五月十三日 (木)
大型のローカルバスに乗って、目的地の街に着いたときには、乗客は僕一人だけになっていた。ついさっきまでは、席は客で埋まっていたと思ったんだけど…。
辿り着いた街は、急峻な谷あいの街で、一本の路と、その下段にもう一つの路がわずかに覗いている。路の両端には、不規則に家が立ち並ぶ。路は固い砂で、所々でこぼこしている様で、これ以上はもうはっきりしないのは、この街に着いてすぐの場面で、僕はブラワヨのベッドの上で、眼を覚ましたからだ。
あの時、僕が辿り着いた、夢の中の街の風景が、しばらく頭から離れない。
今でも、どこか現実の場所とつながっている気がしている...
「カミ遺跡群」は、影の薄い世界遺産の一つに挙げられるだろう。
考古学的・歴史的・芸術的観点から遺跡を楽しむのもいいだろうけど、そうした思考は捨て去って、“ただの古くからある景観”として、それを楽しむのもありなんじゃないかな、とここへ来て思った。
カミの石造建築跡が夕暮れに映える。オス猿が鳴いている。苔だらけの岸辺から望むカミダムの景色はなかなか悪くない。
猿たちは、水門の上を器用に渡っていく。ダムには魚がいて、男が一人、釣り糸を垂らしている。石造りの壁からは、サボテンが顔を出している。
忘れられ、朽ちかけたようにも見えるカミ遺跡。
日が暮れかけてきた。門番の男に貸していた新聞を返してもらって、日が暮れる前に街に帰ろう。
入り口の門は、自分の手で閉めた。
犯罪者の葛藤 - A heart full of trouble as a criminal -
貧困の中で暮らす人々と接する中で、いつの頃からか、自分への戒めとして、思い描くようになったある種の想定がある。
…あなたには、ある一人の友人がいる。彼or彼女は貧しい地域の出身で、友人とあなたの間には、途方もない貧富の差が存在するけど、そんなことは関係なく、二人はいい友人であり、お互いにそう感じている。
ある日、あなたは友人と席についていて、何かの用で、あなたは友人を残して席を立つ。
テーブルには、高額の紙幣が覗く財布を置いたままで…
こうした場面において、友人に対するあなたの行為は、犯罪的行為に等しくはないか、としばしば考える。こうした行為が友人をどのくらい傷つけたのだろうか、と。
僕には、友人が財布を盗んで、忽然と消えていたとしても、あなたが友人を責められるとは、到底思えない。自分の尺度で全ての物事が推し量れるわけはなく、僕らはいつでも他人の尺度に対する想像力を働かせなければならないと思う。
物乞いに何も与えなかったことを悔いるよりも(それが無意味だというわけではなく)、僕たちは、悔いるべきことがたくさんある。
あの時の僕の行動は、友人を傷つけはしなかっただろうか。
心当たりは、あまりに多いけど、一つ一つ悩むことが、無駄だとは思わない。
こういうことを書くと、金持ちの存在自体が罪深いと考えているのではと思われるかもしれない。
あるいは、そうであるのかもしれないが、ただ一つ言えることは、僕はここで、あまりに多く見られる貧困に対する配慮のない先進国ツーリスト(日本人含む)の群れに、一言言いたかったのだ。
護衛に囲まれ、防弾ガラスの奥から眺める先に真実があるとは思えない。
雑多な一般大衆集団が危険だなんてあり得ないと信じている。
※ここで言う集団とは、女がいて、男がいて、子供がいて、老人がいて、それぞれにそれぞれの生活を抱えている人々が、共通の目的を持つわけではなく、雑多に存在している集団というような...
スイス人の親友Pと僕は、ケープタウンでちょっとした行動を起こす際に、よく冗談めかしてこう言った。
"Take some risks!"
そこが本当に危険だなんてどうして言えるの?
二〇〇四年 五月十五日 (土)
二日間の滞在予定だったのが、結局八日間も居ついてしまった。ブラワヨ到着の翌日に事故に遭ってしまい、回復するのに(まだしょっちゅうめまいがするし、完全ではないけど、)これだけの時間がかかってしまったわけで、仕方がないと言えば仕方ない。
けれども、この時間には全く後悔はなく、本当に貴重な一瞬だったな、と今では思う。自分勝手な尺度だとは思うけど、僕の旅には、無駄な時間はほとんどない。
自分一人で過ごしている時間は、何をしていようが、無駄だと感じることはまずない。この場合の“自分一人で過ごしている”という意味は、決して砂漠に一人きりで居ると言う意味ではなく、(あるいは、それも含まれうるけど、)僕の旅の最も重要なテーマである地元民との交流というものを、もちろん無数に含むものであって、随行する友人や旅人を持たない、ということだ。
ブラワヨでの8日間は忘れがたいものになるだろう。
ベッドの上にいた以外のかなりの時間は、宿のスタッフや同宿者にンデベレ語を習ったり、彼らとともに、テレビを見て、アフリカの将来や日本のこと、彼らのビジネスのことについて話し、食事を一緒にし、時にはお酒を飲んで過ごした。
8日間の間、夕食はずっと彼らの伝統料理を一緒に食べた。東洋人一人と七人の黒人。欧米人旅行者は誰一人この輪に加わることなく、彼らの輪を作る。
街で会う人々は、僕の傷を見て、幸運を祈ってくれたり、十字を切って同情のまなざしを向ける。
牧師は、朗々と祈りの言葉を読み上げてくれた。
僕は、顔の傷が癒えるに従って、彼らに上手く笑顔を示すことができるようになっていくのが、素直に嬉しかった。今は、皆に感謝している。
8日目に宿を去るとき、「次はいつ来るの?」とスタッフのHに訊かれた僕は、「2、3年以内に来るよ」と答えたけど、彼女は「じゃあ、多分十年後だね」と笑って言った。
そうかもしれない。でも、いつかはまた来たい。
願わくば、彼らに忘れられないうちに。
投稿者 Kazu : October 23, 2006 07:29 PM
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