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April 25, 2006
Nagana Japanウェブサイト仮オープンに寄せて
ずっと違和感を感じてきた。ある日、その違和感に立ち向かうことを思いたち、その計画に胸を鷲づかみにされ、それからはその想いに支配されつづけた。
たいていの場合、僕らとアフリカは、遠く隔てられた何かだ。アフリカと言って、思いつくこととは何だろう。雄大な大自然を駆け巡る動植物、カラカラに乾燥した砂漠、飢えた子供たち。語られるのは、いつでもセンセーショナルではあっても、あえて言えば、決まりきった対象ばかりだ。ジェンベやアフリカ映画が多少の注目を浴びるようになってきた昨今でも、かの大地の多様性をのぞいてみれば、手に入る話題はわずかなもので、いつもの通りの固定されたイメージにかき消されてしまう。
そして結局のところ目立つのは、貧しいアフリカに対する援助・開発の話ばかりに見える。もちろん、それは必要だろう。けれども、それはある意味では、いつでも政治の話になってはしないだろうか。あなたには人々の声がきこえる?街角のおばちゃんたちの井戸端会議の話題がイメージできる?
僕が描きたいのは、もっと泥臭い部分だ。何でもない生活の一幕、お涙頂戴でない日常のライフスタイル、ひとりひとりの物語、街角のおばちゃんたちの井戸端会議、そういったものに対するメディアがほしい。アフリカを語りながらも、「アフリカでは」という枕詞が自然な形で排除されているような話がしたい。
イメージしているのは、底辺の底辺における裾野を広げ、つなぎあわせること。センセーショナルである必要はない。この前、こんなやつにあってさ、ってそれだけを言えばいい。もちろん、そんなやつもいれば、そうでないやつもいる。どこでも、いつでも。そういったことが自然と実感できればすてきだと思う。
そうして、Nagana Japanというプロジェクトをはじめました。
いつだって試行錯誤で、行き当たりばったりでやっています。
快晴のアースデイに愛をこめて
投稿者 Kazu : April 25, 2006 09:16 PM
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